2009年07月21日 [最新ニュース]
ジョージ・フラートン氏 逝去
フェンダー・レジェンド、ジョージ・フラートンが2009年7月4日に逝去しま
した、享年86歳。
謹んで追悼の意を表します。

レオ・フェンダー生涯の友人でもあり、ビジネスパートナーでもあり、そし
て フェンダー創立時のメンバーでも あったジョージ ・フラートンは、レオ
が自身の 右腕的存在 として全幅の信頼を寄せていたフェンダーのオリ
ジナル・メンバーであった。
フラートンはフェンダー初のソリッド・ボディのエレクトリック・ギター、エス
クワイア(直ぐにブロードキャスター、さらにテレキャスターと名称を変更)
の設計に携わったことで広く知られている。 1970年頃にフェンダーを退
社した後にレオ・フェンダーらと共にG&Lを設立。ブランド名の“G”はジョ
ージ ・フラートンの イニシャルにちなんで付けられた。そして長い年月を
経てフラートンは2007年にフェンダーにカムバック。カスタムショップ ・リ
ミテッド・リリース”George Fullerton 50th Anniversary 1957 Stratocas
ter® and Pro Junior Amp” は フェンダー創設期を熟知するフラートンに
よって監修されたリミテッド・ギターである。
本名ジョージ・ウィリアム・フラートンは、1923年3月7日アーカンサス州
ハインズヴィルにて誕生、第二次大戦前にカリフォルニアに移住した。
電子工学に興味を持ち、 ミュージシャンとしての才能も持ち合わせてい
た若かりし頃の彼は1940年後半時、南カリフォルニアにおいて 花形産
業であった航空事業の道を進んだ。しかし、レオ・フェンダーと出会いが
彼の人生を変えた。レオはジョージに彼が持つ電子工学と芸術の両方
の才能を生かせる、全く違う事をするよう薦めたのである。 それが電気
ギターのデザインだった。 はじめのうちはスチール・ギターとアンプを一
緒に製作するという友人のアイディアを具現化する事に対して抵抗感を
抱いていた。その事について2007年のインタビューでこう語っている。
「今思えば笑い話になるんだけど、当時はギターを作るなんて考えたこ
ともなかったよ。作りたいとも思わなかった。それでもレオはただひたす
ら『一緒にやろう ! 』と言ってきた。そして『レオ、おれがやりたいのは君
の言うようなギターを作る事じゃなくて、電子工学なんだよ。』というやり
取りをよくしたものだ。」しかし、フェンダーがフラートンに持ちかけてきた
新しいスタイル のエレクトリック・ギター のプランに対して強い興味を持
ち、1948年2月2日にフェンダーの一員に加わった。
「新しいソリッド・ボディ・ギターの設計図を見たときに『これだ!』と思っ
た。その後は 日中はもちろん毎晩遅くまで レオと二人で作業に没頭し
てたから、私は家族の姿を見ることがほとんどなかったよ。」 フラートン
の名は、フェンダー社形成期、初期の報告書等でしばしば見ることがで
きる。
エレクトリック・ギターに関する本を多く手掛けている リチャード・スミスは
「ジョージが成功した秘訣は、レオのアイディアを具現化する才能に長け
ていた点でしょう。」と語っている。「ジョージは、リタイア後カリフォルニア
州オレンジ郡で開かれた絵画の賞を幾つも受賞している事実から、彼の
芸術的才能も一役買っていたのではないかと思います。レオは絵があま
り上手くはなかったが、 ジョージはハイレベルな視覚的センスを持ってい
た。これはきちんと確認した事ではありませんが、テレキャスターの形は
ジョージによるところが大きいと私は確信しています。彼のストロング・ポ
イントは、図面を手作業によって具現化できる才能が備わっていたことで
す。その才能は 工場のあらゆるセクションにおいて発揮されたことでしょ
う。そして、彼は皆から愛されていましたよ。非常に魅力的で、彼がショッ
プ・マネージャーの時、従業員たちは本当に楽しんで働いていました。彼
は本当に良い人でした。」
フェンダーカスタムショップのディレクター、マイク・エルドレッドも、ジョー
ジがフェンダーカスタムショップ、そしてエルドレッド個人の進むべき“道
筋”を作ってくれた人物の一人であったと、追悼の意を表している。
www.fender.com/ George Fullerton, 1923-2009 By Jeff Owensより抜粋
George Fullerton 50th
Anniversary 1957 Stratocaster® and Pro Junior Amp
