2008年11月12日 [製品情報]
"PLAY LOUD"!
誰しもが認めるロックスター、イングヴェイ・マルムスティーン。
パガニーニを彷彿とさせるクラシカルなテクニックをヘヴィ・ロックに取り入れるという、大胆な試みに成功した“エレキギター界の革命児”として、世界に認められた人物である。少年時代に体験したふたつの出来事なくしてミュージシャンとしてのイングウェイは存在し得なかっただろう・・・
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I.. 幼少期
イングヴェイ・マルムスティーンは1963年6月30日、スウェーデンのストックホルムで誕生した。幼少時代の彼は、音楽に対しまったく興味を示さなかったという。しかし1970年9月18日、彼が7歳の時にテレビから流れてきたとあるニュースを観て、心の中で何かが覚醒し燃えたぎるものを感じた。当時の彼には、そのニュースがジミ・ヘンドリクスの死を伝えるものであったことを理解できなかったのだが、アメリカ・カリフォルニア州モンタレーという場所でひとりの男がステージ上でエレキギターに火をつけて燃やしているシーンに衝撃を受けたのだと語る。母リグモアは、末っ子のイングヴェイを兄姉同様音楽家に育てたいとの思いから、彼の5歳の誕生日にアコースティックのギターをプレゼントした。そして7歳の時、テレビで観たヘンドリクスの映像にエキサイトした彼は、それまで2年間壁にかけっぱなしだったギターを、まるで真新しいものを触るかのように手に取った。後にイングヴェイは、ジミ・ヘンドリクスの命日を「ギタリストとしてのイングヴェイが誕生した日」と呼ぶようになった。
ふたつ目の出来事は、1971年6月イングヴェイが8歳の誕生日に姉アン・ルイーズからディープ・パープルの新譜ファイアボールをプレゼントされた事だ。そのレコードとリッチー・ブラックモアのギタープレイが全ての始まりとなった。奇しくも同年、後にこの少年にとって唯一無二の存在となるギターが遠くカリフォルニアの地において作られたのである。溢れんばかりの好奇心を持った少年イングヴェイは、リッチーとディープ・パープル、さらにはバッハ、ヴィヴァルディ、ベートーヴェン、モーツァルトといった彼らのルーツとなる音楽家にものめりこんでいった。1日4時間は練習をし、クラシックの音楽理論を次々と吸収、瞬く間に驚異的なテクニックを習得していった。また、フルート奏者でもあった姉アン・ルイーズからも多くのクラシック音楽や作曲家について学んだ。
10歳になったイングヴェイは、幾つかのローカルバンドでプレイし“パワーハウス”なるトリオバンドを結成。後にライジング・フォースと名乗るようになった。パガニーニの楽曲に通じる形式的なクラシックのスタイルと、ジミ・ヘンドリクスを彷彿とさせるロックの激しさとを融合した新しいギタースタイルを生み出したのである。イングヴェイは15歳で学校を辞め、彼が働いていたギター・リペアショップに修理依頼を受けた17世紀に製作されたリュートを見て、自身のギターのネックをスキャロップ加工することを思いついた(なんと彼のヒーローであるリッチー・ブラックモアも指板に同様の加工を施していたが、彼はその事実を当時知らなかった)。
II. 運命の出会い
1978年、彼をオーディションしたドラマーを通じて1971年製オリンピック・ホワイトのストラトキャスターを購入、まもなく彼のメインギターとなり、自身のスタイルに合わせるかのように自分で指板にスキャロップ加工を施す等、手を加えていった。後々このギターのニックネームとなる”PLAY LOUD”と書かれたステッカーをボディに貼付したのもその時期だ。オリジナル・スペックのストラトキャスターを気に入ってはいたが、“PLAY LOUD”にはブリッジとネック・ピックアップをディマジオのHS-3に交換、ミドル・ピックアップとブリッジはフェンダー製のままであった。
瞬く間にスターダムにのし上がったイングヴェイは、その後も“PLAY LOUD”ストラトキャスターをプレイし続けてきた。整然と改造された高価なギターをプレイしていた他のライバルとは相反して、彼は使い込まれた1971年製ストラトをずっとメインギターとしてプレイし続けたのである。それは、彼が1980年代初頭にシュラプネル・レコードの仲立ちによって単身でアメリカへ渡った時、唯一手に携えてきたギターでもあった。
ご存じの方も多いだろうが、ソロデビュー作にしてクラシック音楽を基調とした斬新なアプローチを形にした名盤「ライジング・フォース」(1984)のジャケットには“PLAY LOUD”ストラトキャスターが登場している。このアルバムはビルボードチャートで最高60位を記録し、今ではネオ・クラシカル・ロックのバイブルとなっている。さらにギタープレイヤー誌の年間ベストアルバムに選出され、グラミー賞にもノミネートされた。
イングヴェイは、その後も数え切れない程多くのライヴや「ライジング・フォース」以降の各ソロアルバム(「マーチング・アウト」1985)、「トリロジー」 (1986)、「オデッセイ」(1988)、「エクリプス」(1990)、「ファイア・アンド・アイス」 (1992)、「セヴンス・サイン」(1994)、「インスピレーション」 (1996)、「フェイシング・ジ・アニマル」(1997)、「エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲 変ホ短調、作品一番」(1998)、「アルケミー」(1999)、「ウォー・トゥ・エンド・オール・ウォーズ」(2000)、「アタック!!」(2002)、「アンリーシュ・ザ・フューリー」(2005))で”PLAY LOUD”をプレイした。

III. トリビュート
“PLAY LOUD”ギターは、本人も認めているとおり手荒く扱われ続けてきた。音楽的な面でオーディエンスの心を動かしてきた事は紛れもない事実だが、ギターで煙草の火を消したりスポットライトの灯りで目が眩もうとも頭上高く放り投げてキャッチしようと試みたりといったパフォーマンス的な面においてもオーディエンスを釘付けてきたのである。ちなみに” PLAY LOUD”のヘッドストックは、表舞台から引退させるまでに少なくとも6回は折れたという。
イングヴェイは、長年にわたるフェンダー・プレイヤーであるとともに、最初にフェンダー・シグネイチャー・ギター・アーティストとなったうちの一人でもある。1987年にイングヴェイ・マルムスティーン・ストラトキャスターを発表、以降1998年と2008年にアップグレードされた。そして2008年、カスタムショップ・トリビュート・シリーズ” PLAY LOUD”が、イングヴェイ・マルムスティーンが認めたフェンダー・ギター・ファミリーの一員として加わる。このトリビュート・ギターの製作に携わったフェンダー最上級のマイスター、マスタービルダーの一員であるジョン・クルーズはこんなエピソードを語っている。
「イングヴェイが初めてトリビュート・シリーズを手にした時、本物の“PLAY LOUD”と見比べながら『あ!!この傷覚えているよ』とか『これとこれもやったんだ!』と爆笑してたよ。色々なところを見比べながら思い出し笑いを浮かべていたね。ギターの傷や凹みといった箇所を指差しながら『おまえ達、こんなところまで再現したのかよ!?』って言われちゃったよ・・・でも、彼はトリビュートギターの出来栄えに大変満足してくれたんだ。このプロジェクトにかかわったすべてのスタッフが細心の注意を払ったし、おれが今まで関わった中で最もやりがいのある仕事の一つに挙げられるね」
イングヴェイ・マルムスティーンは今日に至るまでエレキギター、とりわけストラトキャスターに於いて革新的かつ影響力のある達人として幅広く賞賛されている。並外れたアーティストでもあり長年来のパートナーでもあるイングヴェイに対してフェンダーが最大級の敬意を払った“イングヴェイ・マルムスティーン・トリビュート・ストラトキャスター”は、精巧に製作された「楽器」というオマージュなのである。
